昭和の沢田研二は完璧なスーパースターアイドルだった

 昨日と今日の沢田研二のドタキャンニュースに心の中にさびしい風がピューと吹いてしまう。

 私はジュリーのファンではないけれども、ジュリーの歌声とともに昭和の時代を生きた50代の日本人である。60代、50代の人であればだれでもジュリーのことはファンじゃなくても時代の中のBGMとして常に流れ、心の片隅の懐かしい記憶とともに彼の歌声は心に残っているはずである。

 さびしい風を追っていくとそこには、樹木希林沢田研二(ジュリー)のポスターに向かって「ジュリー」と身をくねらせて叫ぶシーンがあったり、シャボン玉ホリデーの中で歌うモノクロのタイガースの映像があったり、「夜のヒットスタジオ」で芳村真理と話す笑顔のジュリーがあったりする。

 沢田研二は完璧な昭和の歌謡界のスーパースターアイドルだった。私が「魔法使いサリー」や「ひみつのアッコちゃん」などのアニメが大好きな小学生低学年の頃、夜の8時台は歌番組が毎日のようにあり、歌謡曲はお茶の間にあふれていた。

 その頃の歌手は歌うだけではなく、コントをしたり、寸劇のようなものをしたり、ゲームをしたり、運動会のようなものをしたり、ドリフターズと絡んだり、と今のお笑い芸人がやっているようなこともやっていた。

 私はコタツでごろごろして、みかんを食べたりしながら、のん気にテレビを観ていたけれども、あの時は何も感じなかったけれども、あの頃ジュリーは食べたいものも食べず、睡眠時間もろくに取れず、嫌な仕事も笑顔でこなし、完璧に歌謡界のスーパースターアイドルジュリーを演じていたんだと思う。

 今、あの頃の映像を見れば驚くほど信じられないほどのスリムなジュリーがいる。「夜ヒット」の中で芳村真理さんはそんなジュリーをスタイルがいいと褒め称えているけれども、どう見ても病的なくらいやせて哀れなほどである。その頃のアイドルは体重制限も必須だったのだろう。

 そりゃあ一度しかない人生なんだから、あの頃食べられなかったんだからってたくさん食べてしまって太ってしまうのも仕方ない気がする。 

 いろいろ嫌な事もたくさんあって我慢してスーパースターやっていたと思う。

 そして今があって・・・でも、9000人の予定が7000人しか集まらなくて、ドタキャンは駄目だ。7000人も集まったんだ。すごいなと思うけど。

 そして、あの頃ジュリーをテレビで観て楽しませてもらった思い出がたくさんある50代、60代の人はそんなジュリーの最新のニュースを聞いてちょっとさびしくなる。心の中が切なさでいっぱいになる。ジュリーの歌声と自分の若かった頃の懐かしい思い出とが重なって、どんどん重なって、重なって・・・。苦しくなる。